- 日時
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2025(令和7)年11月28日(金)
- 場所
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野洲文化小劇場
無形民俗文化財の伝承と人権・同和問題の理解を深めるとともに、伝統人形芝居を通じ、地域の文化や歴史を深く学び、人権・同和問題を私たち一人ひとりの課題として捉え、差別や偏見の解消をめざすことを目的に開催されました。
- 講演
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「福をつかんだ人形つかいとじんけん」
- 講師
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辻本 一英 さん
(芝原生活文化研究所代表) - 人形芝居
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阿波木偶箱まわし保存会の皆さん
会長 中内 正子 さん
副会長 南 公代 さん
阿波本偶「箱廻し」や「三番雙まわし」をはじめ、徳島県独自の祝福芸や門付芸等の無形民俗文化財調査研究を目的として1995年に発足。師匠の門付先を受け継ぎ2002年から徳島県内で正月の門付を行う。
2021年には、徳島県内6市7町で千軒余りの民家に福を届けた。また、愛媛県・香川県・兵庫県でも門付する。現在、日本各地の他海外での公演も行い、ミラノ万博にも出演し徳島県の魅力を紹介した。2019年7月には、東京国立劇場で「祝福芸」に出演した。
2〜3人が一組になり、数体の木偶を一人で操りながら浄瑠璃を語る「箱まわし」は、幕末から明治にかけ全盛期を迎え、全国各地でその大道芸がみられましたが、昭和初期に街角から姿を消しました。明治の頃には、箱まわし芸人が徳島県内に200人以上もいたとされるが、近年はほとんど見られなくなった。箱まわしを生業(なりわい)としていた被差別部落の人たちは、人形を持っていると、出自がわかってしまうと考え、こっそり川に流してしまう人が相次いだという。阿波木偶箱まわし保存会顧問で芝原生活文化研究所代表の辻本一英さんをお迎えし、「福をつかんだ人形つかいとじんけん」と題して、阿波木偶「箱廻し」や「三番叟まわし」 どの徳島県独自の祝福芸や門付芸といった無形民俗文化財の伝承から、徳島県の被差別部落や同和問題についてご講演いただいた。

講演内容
「正月は、人形まわしが運んでくるものと幼い頃私は信じこんでいた。私の故郷の阿波の徳島では、正月元旦の朝早く、門づけに人形まわしが軒毎を訪れる慣わしがあった。・・・」瀬戸内晴美(寂聴)が、小説『恋川』の冒頭で昭和初期の徳島の正月風景を描いています。
木偶操りによる「三番雙まわし」は、徳島県をはじめ香川県愛媛県の正月儀礼として藩政期から長く定着してきた門付の祝福芸でした。二つの木箱(木偶櫃)を振り分けにして天枠棒で担ぎ、得意先の家々を回檀しました。前の箱には、千歳、翁、三番史とエビスの木偶を入れ、後ろの箱には神札や御幣の他、祝儀の金と米や餅などが入れられていました。
通常、木偶を操る芸人と鼓打ちの二人がひと組となって、元旦から春先まで稼働しました。また、秋のえびす講に村々を廻ったといわれています。回壇先は、すべて日時や順番を決めており、食事の接待を受ける家や宿泊する家も決まっていました。「二番曳まわし」を迎える家人は、二番隻で清祓され、エビスから福を受け無病息災、家内安全、五穀豊穣、商売繁昌を予祝され正月を迎えました。また、「二番雙まわし」は農業神事の側面を持ち、徳島県の「鍬初め」や愛媛県での「ノバセフラ」の神事を行った記録が各地の史誌で確認できます。その他、普請の際の地鎮祭を行うなど、庶民の暮らしに根ざした民俗文化(芸能)でした。
「箱廻し」は、木偶操りを路傍や庭先で演じた大道芸で、全国各地に出向き稼ぎました。「二番曳まわし」と同様に、二つの本箱に5,6体の本偶を入れて稼働します。『絵本太功記』や『傾城阿波の鳴門』などの人気外題を語りながら、一人で大ぶりな木偶を操りました。藩政期における淡路では、大座の申し合わせによりたびたび禁止され、厳しいペナルティを課せられるなどして姿を消しましたが、阿波では昭和期まで稼働しました。明治初年には200人を数えたといわれています。淡路人形芝居や文楽座などが座組み興行しなかった中山間地へも入り込み、各地に阿淡系の人形文化を運びました。吉岡久吉(初代天狗久、人形細工人)は、箱廻し芸人は朝鮮半島や台湾まで稼働したと『天狗久芸談』で語っています。群馬県前橋市の泉沢人形(廃業)は、阿波の箱廻し芸人が興した赤城大一座を前身としています。その他、関東から九州にかけて箱廻し芸人の足跡を確認することができます。


三番曳まわし芸人や箱廻し芸人のほとんどは、徳島県申西部(三好市、東みよし町、阿波市)に小集落を成し稼働していましたが、時代の流れとともに農業に転じました。廃業の要因は、生活様式の変化と娯楽の多様化に加え、古くから「清め」の役割を担った芸人の集落に向けられた賤視が挙げられます。
「箱廻し」は戦後まもなく街角から姿を消し、経済の高度成長期には「二番曳まわし」も、1日からの正月儀礼を行う一部の地域を回檀する数組になってしまいました。現在、阿波木偶箱まわし保存会が、芸人に弟子入りして技術と門付先を受け継ぎ、徳島県内で約1,000軒を門付けしています。
徳島の人形浄瑠璃芝居は、幕末から明治期に全盛期を迎えました。箱廻しは、町なかの芝居小屋や農村舞台で演じられた『絵本太功記』や『傾城阿波鳴門』などの人気外題を、路傍で演じた道の芸です。ふたつの本箱に数体の本偶を入れ、天枠棒で担ぎ移動して稼ぎました。箱廻しは、通常2,3人で稼働し、ひとりで木偶を操りながら浄瑠璃を語ります。彼らは徳島から全国に阿波淡路系の人形文化を運びました。そのことにより、各地に根付いた人形芝居に大きな影響を与えたといわれています。明治初年の箱廻し芸人は200人を数えたといわれていますが、第二次世界大戦の頃にはほとんど姿を消しました。阿波木偶箱まわし保存会が2000年から継承しています。
2009年 1月 16日 、国の文化審議会は「阿波本偶の門付け用具」(163点)を国の登録有形民俗文化財とするよう、文部科学大臣に答申しました。県内初の登録有形民俗文化財となります。「二番曳まわし」や「えびすまわし」の祝福芸に使用された本偶のみならず、御幣や神札などの用具類がまとめて有形文化財に登録されます。その中には、名工天狗久の木偶をはじめ、2001年まで門付けに使われた二番雙まわし芸人の諸道具が含まれています。県内の博物館には、門付に使用された木偶が数点収蔵されていますが、周辺用具の類はまとまって残されておらず、「阿波木偶の門付け用具」は貴重な文化財といえます。阿波木偶箱まわし保存会は、本偶に限らず破棄されやすい門付用具類を、十数年にわたって収集してきました。東みよし町の元門付芸人から受け継いだ二番雙まわし道具をはじめとする門付け用具を研究や伝承活動に活かすだけでなく、次世代に文化遺産として残したいと願っています。